インド早わかり情報
Index
|
|
IV. インド政治
【直近の経緯】
1998年 | BJP(インド人民党:ヒンドゥー至上主義政党)中心のバジパイ政権誕生 ⇒経済自由化推進により高い経済成長を実現 |
---|---|
2004年 | マンモハン・シンを首班とするコングレス党中心の統一進歩同盟(UPA)政権が誕生 ⇒下院総選挙において、コングレス党が第一政党に返り咲くとともに共産党他の左派政党が躍進
|
2009年 | 第2次マンモハン・シン政権が誕生⇒下院総選挙においてコングレス党中心の統一進歩同盟(UPA)の勝利。BJP,左派は敗北。 |
【概略】
インドは連邦共和制(Federal Republic)の世界最大の民主国家です。立法、司法、行政の三権分立がきちんと確立しており、民主主義が国民にしっかり根を下ろしています。憲法制定は1950年となります。行なう国として知られています。
議会は上院(Rajya Sabha)と下院(Lok Sabha)の二院制です。代表的な政党としてはコングレス党(Indian National Congress=国民会議派)、野党の最大勢力であるBJP(Bharatiya Janata Party)、共産党などがあります。
コングレス党は1885年に当時植民地の支配者だった在留英国人たちが政治討論のソサエティーとして始めた集まりが、のちに政党となりました。マハトマ・ガンジーが、本来、エリートの圧力団体に過ぎなかった同党を大衆運動の基盤として造り変えたことが今日の由緒正しいコングレス党の起点になりました。
現在のコングレス党のリーダーはソニア・ガンジーです。ソニア・ガンジー(旧姓マイノ)はイタリアの裕福な建設業者の娘で、18歳の時、英国に語学留学しました。その時、ちょうどケンブリッジで学んでいたラジブ・ガンジー(インデラ・ガンジーの息子、のちに首相となる)と知り合い、恋愛結婚しました。その後、インデラとラジブが暗殺され、90年代を通じてコングレス党が没落してゆくのを目の当たりにし、また、大衆も「ガンジー・ネール王朝」から救世主が登場し、政治を変えてほしいと熱望した為、ソニアは敢えて党首となりました。
インドの伝統では政権党のリーダーが首相を務めます。しかし、帰化したとはいえイタリア人であることからソニア・ガンジーは首相を務めることを辞退し、経済学者でインド経済の市場経済への移行の青写真を作ったマンモハン・シン博士を首相に任命しました。マンモハン・シン首相が、政策実務を担当し、ソニア・ガンジーが党務に専念し、役割分担しています。
マンモハン・シン政権の基本政策としては、「社会的融和の維持・促進」、「雇用を伴う最低7~8%の持続的な経済成長」、「農民の福祉向上」、「女性の地位向上」、「指定カースト等への教育・雇用」、「起業家、科学者、技術者への支援」を掲げている。また、外交面では、米国、中国等との関係強化。パキスタンとの関係改善を推進。軍事面では、米欧製兵器導入による兵器体系の近代化と信頼できる核兵力の維持。